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ウラガ・ソーイング・プランニング株式会社はミシンの使い方だけでなく、感覚と楽しさを伝える会社です。

TEL. 046-234-1782

〒243-0431 神奈川県海老名市上今泉6丁目26−46−3

会社方針CONCEPT

会社方針

拘りを持って、楽しいソーイングを提案、縫う感覚を伝えて行く事。


メッセージ

CEO

手づくりには、人それぞれ完成度に対する満足度が違います。
弊社は、楽しい手づくりをお伝えする中で、単に作り方を教えるだけでなく、目で指先で五感を通して縫う感覚をお伝えしたいと思っています。
手づくりをする環境に応じて、例えば小さいお子様がいらっしゃるご家庭でアイロンが使いづらい場合は、その環境に合わせた手法でご指導しますし、
仕上を綺麗にする為には、道具の使い方(例えばアイロンのかけかたや環境)や選び方など手づくりをされるお客様に合わせて、アドバイスができるソーイングコンシェルジュとして、常に自分で縫って使っての拘りを持ち続けて、今出来る最高のサービスをお届けしたいと心がけています。

私は、1988年から、当時更生計画中の潟潟bカーで当時ダイエーの副会長で潟潟bカーの社長も兼任されていた、
故河島博氏(故河島博氏にまつわる本「社長の椅子が泣いている」講談社出版:加藤仁)と当時リッカーの企画部長でリッカー退職後、潟ニバース役員になられた後藤一生氏と3人で日本国内で始めて、ミシンを使ってパッチワークキルトを広めて、当時のリッカーの再建に、ミシンを拡販する為、ミシンキルトパッチワークプロジェクトを作り、故河島博氏のヤマハ音楽を展開されたノウハウ(「需要創造」「用途開発」)を学び、全国の著名な先生方を発掘、ご理解とご協力で、1992年4月17日銀座に「銀座キルトアイ」をオープンさせ初代館長を務めミシンキルトを世に広めました。
当時のミシンパッチワークキルトにご理解いただいて、講習会を受講された先生方が今の日本でのキルト業界をけん引されています。しかし、1997年潟潟bカー社の方針で閉館となりました。

当時のことを世に残したい為に、弊社は当時ダイエーOMCが持っていた「銀座キルトアイ」の商標登録が切れるのを確認して、「キルトアイ」の商標登録が出来ました。


プロフィール

1989年11月
故河島博氏・後藤一生氏と共に、ミシンパッチワークキルトプロジェクトを発足
1992年4月17日
銀座に「キルトアイ」をオープン(アンティーク・現代キルト展示スペース、 ノーション購入スペース、ライフスタイル提案スペース、講習会スペースの複合
1997年8月
潟xルニナジャパン設立と同時に入社
2007年5月
5月ベルニナジャパン退社                        同年7月ウラガ・ソーイング・プランニング株式会社設立           同年6月財団法人日本手芸普及協会(現在:公益財団法人日本手芸普及協会)  日本ヴォーグ社の顧問就任 現在に至る
2008年1月
東京ドーム国際キルト展のJUKIブースで、黒羽志寿子先生、郷家啓子先生、増田順子先生の展示講習会をプロデュース
2008年4月
全国の信頼あるミシン店を中心に、公益財団法人日本手芸普及協会推奨の賛助会員加盟店を集め、「公益財団法人日本手芸普及協会推奨 手づくりパートナーの会を設立(公益財団法人は、4月1日より)
2008年10月
「キルトアイ」の商標登録される(阿部・井窪・片山法律事務所を通じて申請)
2011年 1月       
東京国際キルトフェスティバル 「額絵キルト部門」に「はいらいつ」入選       
2011年10月
東京ファッション機器展(FISMA)被災地支援で「絆」をテーマにキルトのひざ掛けを呼掛け43枚贈る企画をボランティアで参加
2012年 1月       
東京国際キルトフェスティバル 「バック部門」に「オールドバック」2位入賞「額絵キルト部門」に「闇からの光」入選
2012年 1月       
東京国際キルトフェスティバル JUKIブース体験コーナプロデュース

バナースペース

ウラガ・ソーイング・プランニング株式会社

〒243-0431
神奈川県海老名市上今泉6丁目26−46−3

TEL 046-234-1782
FAX 046-234-1782

1997年8月